ソウルの朝 日本を思う
韓国ソウルの朝。日曜日のテヘラン通りは車の往来が少ない。
当たり前のことだが、ソウルの町は何もない普段の風景だ。そのことが余計に、当たり前の風景が一変している地域がある日本の惨状を思わせる。戦後の焼け野原から復興そして目覚ましい発展を遂げた母国日本。また大きな災害から立ち上がることがきっとできる。
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韓国ソウルの朝。日曜日のテヘラン通りは車の往来が少ない。
当たり前のことだが、ソウルの町は何もない普段の風景だ。そのことが余計に、当たり前の風景が一変している地域がある日本の惨状を思わせる。戦後の焼け野原から復興そして目覚ましい発展を遂げた母国日本。また大きな災害から立ち上がることがきっとできる。
フランクフルトambienteの総括をしておきたい。
元旦にストア廻りをしていてお茶の水で駐車場を見つけ、ふと上を見上げると立派な建物が。母校のリバティタワーだ。僕が卒業してから建てられたのでマジマジと見るのは初めてかもしれない。そういえば2010年の入試志願者数が一番だったと校友紙に掲載してあったなあ、と思い出す。
このまちは、僕の青春そのものだったなあ、と懐かしくストアに向かった。(笑)
2004年くらいからお盆は日本にいなかった。米国のアウトドア業界最大の見本市であるOR(Outdoor Retailer Summer Market)が日本のお盆時期に開催されていたからだ。
今年のORの開催時期は8月の初旬になり、かつ僕は今年のORには行けなかった。そんなわけで7年ぶりにお盆に日本にて父のお墓参りにも行けたのだった。
とても多忙で、とても充実した年だった2009年も行こうとしている。
みなさんの2009年は、どんな年でしたでしょうか?
今年もスノーピークのビジネスを通して、そしてこのnoasobi.comを通して多くの方々と交流ができたことに感謝申し上げます。ありがとうございました。(^^)
私達スノーピークの欧州の販売子会社Snow Peak Europe GmbHがある。ドイツもしくはヨーロッパの社会の仕組みや商習慣が日本やアメリカと違うなあ、と感じることは多い。
これは署名認証というもので日本でいったら印鑑証明と同じ意味。日本と違うところは代表者である僕が自分で公証人のところへ行き、公証人の目の前で署名をしないといけないところ。
上の書類はSnow Peak Europe GmbHの定款の一部変更の書類なのだけれど、この書類の作成のためには本来は僕自身が渡独し公証人を訪ねて目前で署名し署名認証してもらう必要がある。実際にSnow Peak Europe GmbHの設立時そしてその後一回は公証人事務所に出向いて署名を行った。
昨日のことである。時差ボケ中にとても興味深いモノに出逢ってしまった。(笑)
昨日はお盆。
皆様、いかがお過ごしですか?
僕は数年ぶりというか、かなり久しぶりに日本にいるので今年は父の墓参りができました。(^^)
noasobi.comの更新ができずにいる今日この頃。更新を楽しみにお越しいただいている皆様には心よりお詫びを申し上げます。
今の僕の状況は、海外国内出張などで不在の時が増えている。そして在社の時には検討案件が溜まっていて僕を待ちかまえている社員が多い。(笑)というような状況です。
ただいま帰国し帰宅しました。(^^)
立春なんてエントリーを昨日したけど、日本は雪だった。(笑)
湯沢から長岡まで、半端じゃない雪。前が見えなかった。
というわけで、しばらくの間は不定期更新になると思いますのでヨロシクお願いします。(^^)
みなさま、週末は良い休日をお過ごしください。
Merry Christmas !
ようこそ新しいnoasobi.comへ! (^^)
今月の初めからテスト運用していたnoasobi.comのブログ化ですが、やっと慣れてきたので只今リニューアルオープンいたしました。
2001年の5月5日に始めた個人サイトnoasobi.comも今回で2回目の大きなリニューアル。3代目のWebsiteになりました。できる限り真面目にエントリーをアップしていきたいと考えています。
これからもnoasbi.comをご愛顧(笑)いただきますよう宜しくお願いいたします。(^^)
それでもやっぱり世の中には、どんな理由があったとしても、いかなる状況だったとしても、言ってはいけないこと、やってはいけないことってのがあると思う。そして、それがリーダーなら尚更のことだ。
言ってはいけないこと(自分が代表している組織の悪口を言って辞任)を言い、その挙げ句にやってはいけないこと(辞任の撤回)をやるリーダーに驚いた。
国がきちんと治まるためにはどの時代でも政治のリーダーがきちんとすることが必要だ。とても残念で、とても考えさせられる。
今日の朝刊で日本航空の業績が予想以上に良いとの記事が掲載されていた。ずっとJALを利用することが多かった僕は結果的にJALのマイレージを貯めていることになる。JALの様々な不祥事や業績悪化のニュースが流れるたびに「anaにしておけば良かったかな」と考えることも多かった。僕のマイルは30万マイル以上貯まっている。少し安心する記事ではある。
子供のころから新しい年がくるとワクワクした。真っ新な気持ちになれて「よしっ、今年も頑張るぞっ」という素直で脳天気な性格である。
いつもの年よりも2005年が来るのが待ち遠しかった。2004年と早く決別して新しい年を迎えたかったからだ。
新しい年、真っ新な2005年がやってきた。素直に嬉しい。
そして、世界中の人々に平穏で安寧な生活があることを強く望む。
2004年は、新潟県の中越地方にある三条市在住そしてビジネスの拠点も三条市である僕にとって、様々なことを感じずにはいられない年だった。いや、否応なし感じさせられた年だったという方が正確だ。
7月13日に三条市を7.13水害が襲う。北海道で行われたSnowPeakWay2004inドロームからの帰路で被災を知り翌日に三条までかなり迂回して戻った。7月16日に三条市災害ボランティアセンターができてから8月8日に閉鎖されるまでの23日間ボランティアセンターで働いた。そして復旧から復興へと気持ちを切り替えるためのイベント三条復興祈願熾盛祭(しせいさい)をようやく三条の若い経営者の仲間達と10月17日に開催。一段落着いたかに思えた。
その一週間後の10月23日に、またも中越地方は大災害である新潟中越地震に見まわれる。十日町、小千谷に10月26日に入って現地調査。29日には僕は十日町にスノーピークスタッフは小千谷に炊き出しに赴く。そして全国からテントや寝袋を集めて川口町災害ボランティアセンターアウトドア隊として活動。最も被害が大きく復旧が遅れていた町の一つである川口町の被災者の皆様のために活動。
一年で、大きな災害に二度も見舞われるということは稀なことだろう。そんな中で自分や自分たちは自分や自分たちにできて被災者のみなさんのためになると現地で感じ取ったことを素直に行動や活動にできてよかったと感じている。そして僕たちと同じように全国から本当に沢山のボランティアが駆けつけてくれた。何の縁もゆかりもない人たちのために借金までして来てくれた学生ボランティアもいた。阪神淡路大震災前には考えられなかったことだ。
日本は豊かな反面コミュニティが普段は崩壊している地域が多い。三条も被災後に被災をきっかけにコミュニティが形成された地域も多かった。人と人が助け合って生きていく。人と人が力を合わせる。ということの素晴らしさを感じた。
地元での活動で一番感じたことは、非常時には平和呆けした行政組織などあまり役に立たないということ。普段から心が通い合っている仲間、人と人のつながり、人の気持ちにしかできないことが如何に多いかということ。この二点を強く感じた。
私達は日本という国のそれぞれの地域に住んでいる。しかし、非常時には自分のことを自分で解決すべく行動できる心の準備、3日くらいは自分たちで生き延びられるような物資や装備の準備が必要である。
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